クミシュテペの様子

イラン
04 /28 2021
イランは今ちょうどラマダン月、一ヶ月の断食が行われている。コロナウィルスの感染状況もそれなりにひどいのだと思われるが、細かいところはわたしは聞いていない。
さて、クミシュテペの町、親戚、自宅や動物たちがその後どうなったかについて、わたし自身は詳しく知らない。ハリルは親戚とやりとりをしているのだが、ときどき耳にする情報に対してどうしても感情的になってしまうので、わたしは積極的に聞かないようにしてきた。しかし最近は一つ変化があって、その方向性が見えてきたので書いておきたいと思う。
わたしたちの自宅の庭は今、大きな畑になったようだ。甥っ子が中心となって、きゅうりの種を撒いた。
この写真を見てショックを受けたのは、わたしだけではないはずだ。一所懸命世話をしてきた果樹がすべてなくなっているし、青々と茂った草もない。一面の畑。ということは、猫たちが隠れる場所もまったくないということだ。たった一枚の写真を見ただけでも、もう胸がいっぱいになってしまう。チーちゃんはどこにいるんだろうか。どこで餌を見つけているんだろうか。いや、チーちゃんは狩りができるから、鳥やネズミを取って食べているだろう。でも怪我をしてしまったらどうか? …もう考え出したらキリがない。眠れなくなるので、その思考の部屋はここで一旦ドアを閉じる。
さて、仕切り直し。
この畑を作ったのは、ハリルの弟ユスフの息子たちである。長男はトルコへ、次男はテヘランへ出稼ぎに出ていたが、二人とも病気になって帰ってきた。どちらにしても、社会の底辺にあたる3Kとも言われる仕事をしていたのだろう。安いお金でこき使われて、食事も提供されず、一人は手術が必要なほど傷ついてクミシュテペに戻った。もちろんお金を貯めて帰ってきたはずもなく、散々である。
じつは長男がトルコへ行く前に、ハリルはそんなところに行かずにクミシュテペでナーセルと仕事をするよう説得していた。しかしナーセルとうまく折り合わなかったようで、結局甥っ子二人はクミシュテペを後にしたのだった。
わたしたちの自宅はこれまでナーセルが管理してくれていたようだが、今後はユスフの息子に使わせるようハリルが言ったのだと思う。ナーセル一家は、果樹が植わった庭はまったく手入れはせず、部屋だけ使っていたようだ。だから果樹もとっくに枯れていただろう。放り出して外国に移った自分たちのせいなのだから、それは仕方がない。今は、この家も庭も、ほぼ自活できていなかったユスフ一家がうまく活用して、なんとか食べて行ってくれればそれが一番だ。ハリルもわたしもそう思っている。

あいかわらず塀はできていない


かろうじて移植されたオリーブが壁際にある


あれは懐かしのユスフじゃないか(笑)裸足でトラクターに乗る男

ユスフはハリルの弟で、わたしたちがイランに移った頃は、ナーセルとともに牛と羊の世話をしていた。しばらく経って、ハリルがユスフを解雇したのだが、その辺りからユスフ一家の生活は不安定なものになっていたようだ。しかしそれまでも、ハリルが海外で稼いできた資産を増やすことなく食べていたのだから、当時の解雇は仕方がなかったと思う。
ユスフ自身は熱心なイスラム教徒で、パキスタンやインドにも出張していたことがある。数年前はトルコにも行ったと聞いたので、ついにイスラム国に入るのかと勝手に思っていたら、帰ってきたので違ったようだ。しかし出張とは名ばかりで、家族を置いて自分だけ勝手に旅に出ているだけというのが実際のところ。ハリルはいつもそれに対して怒っていた。
時は流れて、ユスフの五人の子供たちも成長した。長女と次女はすでに嫁いで、三女も婚約しているようだ。長男と次男が一家の経済を支えているはずだったが、二人とも病気になって帰ってきたので、まずは健康を回復することが先となった。しかし今は畑をここまで整備したし、家の中でも、二階のバカでかいお風呂場を使って植物の苗を育てたりしている。がんばってほしいものだ。
ちなみに、ユスフの息子は二人とも、特別に頭がいいとハリルは言っている。二人とも、学費その他のせいで大学で勉強することが叶わなかったが、他の甥っ子姪っ子たちとは違う賢さがあるようだ。ただ、人生において賢さとはたった一つの要素でしかない。運をはじめ、人生をうまく進めるために大事な要素は他にもたくさんあるので、賢さを生かして成功を収めてほしいと思う。不毛なクミシュテペで楽な生活ができるようになるとは思わないが、せめて食べるのに困らない、そして結婚できるくらいには稼ぐことができたら、と思う。