倉敷で好きな店

倉敷
05 /20 2023
美観地区を含めた倉敷駅周辺をひとりで歩き回るようになったのは、中学生の頃だった。祖母の家に遊びに来ると、一人で歩いて、または自転車で出かけて、街を散策した。大学生になると東京から一人で遊びに来て、倉敷駅から祖母の家までも自分で歩いて向かうようになった。なので、商店街としてわたしが一番よく知っているのは倉敷の街かもしれない。
ただ、当時から40年近く経った2023年では、もう街の様子がまったく違っている。若い人が新しく小洒落た店を開いているのはよく分かるし、外国人観光客もどっと増えたのだと思うが、文化的には質が上がったとは感じられない。倉敷に限らずだが、伝統文化が廃れていくことに比例して、街やそこにある店の質は下がってしまうのは仕方がないことなのだろう。
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今回は、2時間ほどしか散策しなかったので、どうしても行きたい店に二軒立ち寄った。お墓から近い、商店街の外れにある「倉敷民芸」と「木本戎堂」だ。
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木本というお菓子屋さんには、倉敷名物の「むらすずめ」が売っている。お土産用の保存料が入ったものではない、上質な焼き菓子。なので、買った翌日までに食べる必要がある。
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むらすずめ
それと、「ぼっこう饅頭」。これも祖母が買っていたお菓子の一つだった。賞味期限が五日間とのことなので、こちらはお土産にした。
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ちなみに、「ぼっこう(ぼっけえ)」は岡山の方言で「すごい」を意味するらしい。たしかに、すごく甘くておいしい饅頭だ。ぼっけかろう?
倉敷民芸では、いつだったか茶匙を買ってとてもよかったので、また買い足したいと思ったのだが、お店に置かれたカトラリーや台所道具は様変わりしていた。どこででも買えるような輸入品の安い商品が増えている? 高価なやまぶどうのバッグなどはまだあったけれど、手頃な日用品で質の高いものは減っているような気がした。
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バターナイフを三つ買ってお店のご主人と話したら、職人さんがみな辞めてしまって、そういった伝統的な商品はもう買うことができないのだとさみしそうだった。職人さんたちは(おそらく時代の流れだと思うのだが)いつ辞めようかと迷っていたところにコロナ禍が訪れ、その機に辞めてしまったそうだ。だから、民芸店としてはほかで手に入る商品を買ってお店に並べるしかないのだろう。百円ショップでも似たようなものは買えるけれど、職人の手で堀り出される絶妙な形や厚みは、工場で生産することはできない。かといって、バターナイフが一本何千円もするようになっては、もはや民芸品ではなくなってしまうので困るのだが。
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どさくさに紛れて、MUJIの木皿も買ったという。そういえば、倉敷には民藝館もあるのだが、今回は行きそびれた。あとでホームページを見たら、なんと4・5・6月は月曜から金曜まで臨時休業しているそうな。民藝館にまでシャッター街の余波が及んでいるのだろうか。ど〜すりゃ〜

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墓参り

倉敷
05 /17 2023
わたしの父は倉敷の出身なので、彼の実家のお墓は倉敷にある。今回はご先祖さまの墓を掃除、お参りに行く両親に、弟とわたしが同伴した。子どもの頃は夏休みに毎年家族で祖父母の家まで車で来たものだったが、今でも同じく一日がかりで、あらためて遠い場所だなと思った。父にとっては自分の生まれ育った町なので、そこまで遠く感じないのだろう。夜の10時前に倉敷に着くと、父は通りにある建物の名前をいちいち声に出して読み上げ、「ローソン」まで言って、若干ハイになっていた。
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お墓は、期待を裏切らない草茫茫ぶりだった。まず通路の草を抜き、木の枝を切り、小さな敷地内の草や枯葉を集め、墓石をきれいにして線香をあげる。とりあえず今年はこの任務を四人で終えて、一件落着となった。
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思い出深い祖父母の家は新しいアパートに建て替えられ、そこから歩いて遊びに行った親戚の家も人手に渡り、新しい大きな家が立っていた。甘柿のなる木も切り倒されて、悲しい限りだ。大好きだった祖父やいとこたちと遊んだ思い出も、今では取り返しのつかない遠い昔の出来事となった。でも、自分の中の記憶だけでなく、その土地に物理的にお墓があることが、自分のルーツの拠り所となるのだと思った。そしてそれは、しあわせなことだろう。そう考えたいと思う。ただ、わたし自身は実家を出て嫁いでいる(?)ため、その墓に自分が入るかどうかは不明の限り。

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