ハリルのスニーカー修理をしてなぜモヤモヤが残ったのか。その話を書いておきたい。
修理を頼んだのは、ネットで検索して出てきた、ディスカウントショップ内にあるお店だった。ミスターミニットのような、鍵と靴の修理をしている小さなブースだ。ソールが剥がれただけなので、どこでもうまく直してもらえるものだと思い、家から一番近い隣町の店を選んだ。
靴を渡すと、一時間でできる(1,980円)とのことだった。ソールは両足とも剥がれていたので、二つ分の料金だ。お願いして、早めに取りに行ったら、もうできていた。客はわたし以外にいなかったしね。
靴を受け取ってみたら、アッパーのつま先部分に茶色い液体が垂れた跡がある。オレンジ色の靴なので、こげ茶色の筋ははっきりと見えたが、そんなものは修理に出す前はついていなかった。すぐに指摘すると、店の人は「そこは自分が接着した箇所ではない」という意味のことを言った。つまり、自分のせいではないということだろう。もう一度書くが、アッパーとソールの間から、茶色い液体が垂れたような跡がついている。接着した一番下のソールを圧迫したら、その熱か何かで溶け出たものなのかもしれない。しかしそれはぬぐ拭われることもなく、そのまま固まっていた。「これはもう取れないんですか?」と聞くと「それは取れないですね」としれっと言う。この人は人格障害なのかもしれないと思った。
そこで、店に到着したハリルにそれを見せて、「彼は自分が接着した箇所じゃないと言っているけど、圧着した時に熱で溶け出たのかも」と説明した。ハリルは「OK」と言った。それでわたしは1,980円を渡して、店を去った。これはモヤモヤするでしょう。
彼が「自分が接着した箇所ではない」と言ったとき、わたしはこの人は嘘を言った(ごまかした)と直感的に思った。でも同時に、強い態度でクレームすることはできないと感じた。なぜなら、これを彼のミスだとしてわたしが1,980円を払わなかったら、彼は自分の時給はおろか賃料も払えないかもしれない。自分のしたミスを認められない背景には、あまりに貧乏な哀れむべき背景があるような気がして、彼の非を実際に責めることはできなかった。ロジックではなくて、直感的にそう思ったのだ。
家に帰ってからその店のGoogleクチコミを見てみた。「大切にしてきたブーツを傷物にされました」と書いている人がいた。「ミスを誤魔化したり隠そうとするのはありえない行為です」「ここにソール交換を出すのは絶対にやめた方が良いです」一年前に同じ経験をした人がいたということか。クチコミには、店がすべて丁寧に返信しているので、店としての評判は気にしているのだろう。しかし靴修理人でありながら簡単にミスを誤魔化すその態度は、成熟した大人とは思えないので対等に話もできない。モヤモヤするけれど、わたしは哀れみの気持ちで彼に1,980円を払ったのだと思う。
去年、よく聞くラジオ番組で「ハドソン靴店」という店のことを知った。詳しくはポッドキャストを聞いてほしいけれど、靴屋さんはみな彼のような実直な職人で、自分の仕事に誇りを持っていて、靴を大事に扱ってくれると考えていたのは、わたしの勝手な想像だったのだ。実際の町の修理屋さんは、わたしが経験したとおりが現実だろう(ハドソン靴店の村上さんも少しそのことに触れている)。分からなくはないし、むしろ、よく分かる。 ハリルは「自分が接着した箇所ではない」と言ったその人とその店を一瞥して、OKと言った。後で聞いたら、彼の中に自分自身を見たのだとか。そこで文句を言ったら、わたしが強い態度で非難するのを恐れたのだそうだ。は? と思うが、わたしと似たような気持ちになったのであれば、腑に落ちないでもない。
モヤモヤするぅ
そしてその修理屋は、案の定レシートを出さず、次回使えるクーポン券のついたチラシは渡してきた。さすがにわたしからの次回はない。ハリルの靴は30cmを下回らないので、新しいのを見つけるのも大変なんだYO!
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